きつねの嫁入り行列とは

朝日稲荷と嫁入り船

我入道の漁師、守国(もりくに)は沼津のみなとのお祭りで、ひとりの娘と出会いました。
それから毎日、狩野川べりで娘のことばかり考えていました。とある夕暮れ、向こう岸にその娘の姿が・・・。

守国は矢も盾もたまらず渡し船を漕ぎ出しました。が、川の中程でなぜか櫓が動かなくなりました。

「これ、守国。浜の決まりを破ったな。」お不動さんは言いました。

「渡し船は日の出から日の入りまでしか使ってはならぬ。
お前も漁師なら知っておろう。
しかし娘を思う気持ちもわからんでもない。
そこで決まりを破った罰として明日から一年間、上土の朝日稲荷神社に毎日お参りをするなら許してやろう。
お参りしたことがわかるように何かしるしの品を持っていくのじゃ。よいな。」

あくる日から守国は、浜に打ち上がるつめた貝を、毎日拾っていきました。
「きまりを破った事をお許し下さい。どうか娘に合わせて下さい。」

すると・・・
「よう通いましたな。娘を想う気持ちも分かりました。これを持って浜の不動尊に行きなさい。」
朝日稲荷様はそう言って、守国が並べておいたつめた貝を美しい髪飾りにかえました。

浜の不動尊には娘がいました。守国は娘に結婚を申し込み、髪飾りを贈りました。

祝言の日、花嫁は渡し船に乗って守国の家に向かいました。
船頭歌を聴きながら・・・。

我入道の渡し

上土朝日稲荷神社

上土朝日稲荷神社

御祭神

宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

「うか」というのは、穀物や食物の事で、穀物の神様。
伏見稲荷大社の主祭神でもあり、お稲荷さんとして親しまれています。

歴史

天正7年(1579年)に武田勝頼が三枚橋城を築城する際、お城の守護として稲荷・天神社を城内に祭ったのが始まりでした。慶長19年(1614年)、三枚橋城が廃城となった後も神社は存続してきました。

安永6年(1777年)に水野出羽守が沼津城を新たに築城する時、城内に水野家守護の稲荷社を勧請したため、もともとあった稲荷・天神社を上土裏通りの旧城址の古堀跡(六軒町)に移築したようです。

明治18年には八幡町の八幡神社内に遷座し、その後、現在の上土に鎮座されました。